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《THE UNIVERSE 月曜日》文字起こしvol.2:松尾潔×吉岡正晴対談(2007年8月27日放送)vol.2

KC「吉岡正晴さんをゲストにお迎えしております《月曜日 THE UNIVERSE》、番組始まって随分時間が経つんですけど、1曲目、デヴィッド・T・ウォーカーで、「ワッツ・ゴーイング・オン」でした」
吉「これはもちろんマーヴィン・ゲイの曲なんですが、そのローランド・バイナムの(番組の)オープニングテーマであり、エンディングテーマだったんですよ」
KC「いいですね〜」
吉「で、FENには、ソウル・ショーが2つあった、と。ひとつがこの、ローランド・バイナムの番組で、どっちかっていうと知的で、大人っぽい話し方をするんですよ。もうひとつのドン・トレイシー・ショーの方は、10代20代を相手にしたような、シングルヒットを中心にした、R&Bのトップ40もののイケイケな感じで。ディスコっぽい曲もかかったりしてたんですよ」
KC「へ〜。どちらに影響受けました?まぁ、どちらもなんでしょうけども」
吉「うーん、どっちも極端にスタイルが違ったからね。両方好きだった。ドン・トレイシーの方とは、後年、個人的に知り合いになって……」
KC「そこは吉岡さんのすごいとこだよな〜」
吉「彼の家に招かれたりだとか、良いお付き合いをさせて頂いてるんですよ。で、彼と知り合ったのは1980年頃だった思うんですけど、彼が何かの用で来日したときに、インタビューをすることになって、インタビューしたら意気投合して、当事Eメールとかないんで、住所と電話番号交換して……(19)80年じゃそれこそファックスもなくて。手紙のやりとりでしたね。で、僕の方から電話したりだとか、家に遊びに行ったりだとかして、個人的に親しくなったんですが。で、そのドン・トレイシーショーの方は、番組のテーマ曲がないんですよ。いきなり1曲目から大体アップテンポな曲でガーンとはじまって……これはその当事、すごい斬新だったんですよ」
KC「それもまたひとつのスタイルですよね」
吉「そうそう。で、ドン・トレイシーに『なんであなたの番組にはオープニングテーマ曲ないんだ?』って聞いたんですよ。したら、『いや、今はこういう方が新しいんだ』って言うんですよ。「テーマ(曲)無しの方が、かっこいいものなんだ」って説明するんだよ」
KC「それがまた、吉岡さんには目からウロコだった?」
吉「でしたね」
KC「それ以来ワンデイアキュビュー使ってらっしゃるという……」
吉「使ってないよ!(笑)」
KC「トレードマーク、メガネですもんね(笑)」
吉「でね、そう言われて聴いてみると、たしかウルフマン・ジャックにたしかテーマがあったんじゃなかったかな……」
KC「まぁ、ロック系の、何かあったんじゃないですか……? 僕はわかんないなぁ……」
吉「たしかにね、いきなり曲からはじまる番組もいくつかあったんですよ。ぼく聴いていた70年代中ごろは、日本の番組はぜんぶ、AMもFMも、必ずテーマ曲があって……」
KC「必ずフュージョン系のインストなんですよね、ああいうのって。スタッフとかアジムスとか」
吉「そうそうそうそう。で、『みなさんこんにちは』とか『こんばんは』かなんかではじまって、それから1曲目がかかる……みたいな」
KC「イージーリスニング的な聴き方が多かったってことでしょうかね?」
吉「うーん、でも、番組に前テーマ後テーマがあるっていうのは当たり前だったから……歴史なんじゃない?」
KC「そういえば、この番組にも……」
吉「前テーマはありますよね」
KC「ありますね」
吉「後テーマはないですよね」
KC「ないです。《おやすみユニバース》です!」

KC「吉岡さんは、この番組毎週お聴きになってるんですよね?」
吉「聴いてますよ、リアルタイムで」
KC「「今週こうだったよね〜」とかお電話・メールを頂くんですけども、平均して月に3,4回お会いするんで、「こないだのあれ、なんなの?」みたいなお話されますけど」
吉「先週で言うと、僕は50(代)、50(代)、50(代)、30(代)、50(代)と、っていう話ですよね(笑)」
KC「(笑)。年齢の話ですけども。」
吉「反動がついたっていう……」

KC「で、吉岡さんは、数限りないインタビューをされてきたわけですよ。さっきの話でいうと、ラジオDJとか、他にはジャーナリストの方にもたくさん……僕はほら、97,8年くらいにデビット・リッツと吉岡さんに紹介して頂いたじゃないですか」
吉「そうだっけ?」
KC「ジャネット(・ジャクソン)が来日したとき、『ローリングストーン』の同行取材で。J-WAVEで土曜日の午後に片寄(明人)くんの番組(『SUPER LINE 'J'』1997年11月15日放送)にゲストで行ってたんですよ」
吉「あ、そうだ、そこにデビットを連れて行ったんだっけ」
KC「ジャネットと一緒にデビットが来て。僕はその、ジャネットにはその前に会ってて自宅とかも行ったことはあるんだけども、それより、デビット・リッツに興奮してたんですよ……!」
吉「ほぉ〜。そうなんだ。やっぱ松尾さん、ちょっとひねくれてるよ(笑)」
KC「そしたら!片寄明人くんも『デビット・リッツですかっ!』って言うのよ。彼、マニアだから」
吉「えっ?!そうなんだ……」
KC「で、僕に、『あれってデビット・リッツですよね……あんな見てくれがパンクな人だとは思わなかった!』ってショック受けてましたけども」
吉「へぇ〜」
KC「まぁ、それはいいとして、吉岡さんは多岐にわたるインタビュー経験がお有りだけど、数でいうと、ざっと何人くらいなんですか?」
吉「うーん、正式なものでいえば、300〜400ぐらいのもんですよ」
KC「おっ、何かデータがあるんですか?何か取り出しましたけども」
吉「そう、79年くらいから92,3年くらいまでにインタビューしたものって、大体カセットテープに録るでしょ?それをコピーして……」
KC「あっ、カセットのインデックスをコピーしたものですか!?」
吉「そう、(ペラペラめくりながら)こんなのをとっといて……これが大体2,300くらいかな?」
KC「(ペラペラめくりながら)これは……」
吉「何でも言ってください、覚えてないのもあるけど」
KC「ちょっとこれ、すごいですよ。宝の山だなぁ」
吉「今、要は、僕がインタビューしたカセットテープの背の部分だけをコピーした一覧表をお見せしてるんですが……」
KC「パッと見開いたところで、(19)88年、もうニュー・ジャック・スウィングの流れのとことか……」
吉「そのころは松尾さんはデビューしてますよね?」
KC「この年にデビューしたんですよ。そういう意味で88年のところを開いたんですけども……エヴァン・ロジャース、カール・スターゼン
吉「イワン・ロジャースね。プロデューサーの」
KC「今リアーナのプロデュースとかをやってますよね」
吉「この人たちは……キャリン・ホワイトも?かな??」
KC「やってましたよね」
吉「そのころ、白人2人組で」
KC「イアンはRCからアルバム出してますよね」
吉「そうですね」
KC「(ペラペラめくりながら)……イヴリン・シャンペン・キング!!」
吉「それ、ニューヨークでインタビューしたんだよね〜」
KC「あと、テディ・ライリー+ジーン・グリフィン。88年7月25日」
吉「それたぶん初めてじゃないかな」
KC「これ、すごいですね〜」
吉「テディ・ライリーは、その、ニュージャックスウィングが出てきたときですよ」
KC「88年の7月25日ってのは、もう、チャート上、ガイのファーストアルバムと、ボビー・ブラウンの『ドント・ビー・クルーエル』と……」
吉「キース・スウェットも出てたよね?」
KC「キース・スウェットは87年くらいですけども……」
吉「あ、そっか」
KC「でも、まぁ、そのころですよね。それと、あと、ロバート・グレイ……」
吉「ロバート・グレイ、ブルースですね」
KC「ブレンダ・ラッセル」
吉「ブレンダ・ラッセルは日本でインタビューしましたね」
KC「(DJ)ジャジー・ジェフフレッシュ・プリンス……これがあんな今、盟友になるなんて思いもしなかったですよね(笑)」
吉「(笑)。そうね、ジャジージェフ&フレッシュ・プリンスは、今でいう、ウィル・スミスですよ!もう会えないですよ!」
KC「まぁ、別のルートで会うことになるでしょうね」
吉「今や映画スターですからねぇ」
KC「おっ、これすごいな。88年10月のカセットテープ……A面にフレディ・ジャクソンの10月6日のインタビュー、B面には8日後の10月14日は、ナタリー・コールの電話インタビューが入ってますよ!これ、別のテープに入れましょうよ!どんだけ地球に優しいんですか!」
吉「カセットテープが今ほど安くなかったからね。しかも、これ、いちばんいいカセットですよ。クロムテープっていうんだっけ?」
KC「10月11日、ホール&オーツ。これがA面で、翌日、B面にテンプテーションズって……す、すごい!」
吉「(笑)」
KC「これはもう、六本木の「ジョージ」じゃないですか!」
吉「まるでね」