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《THE UNIVERSE 月曜日》文字起こしvol.2:松尾潔×吉岡正晴対談(2007年8月27日放送)vol.1

KC「こんばんは、松尾潔です。まったりとしたトークとゆるめの美メロをお届けしております《THE UNIVERSE月曜日》、いつものように朝4時まで、お付き合いください。今日は、番組始まりまして6人目のゲストをお迎えしたいと思います。音楽評論家の、吉岡正晴さんです!」
吉「こんばんは、吉岡正晴です!いやー、緊張して…ないか(笑)」
KC「番組始まる前1時間も語り倒しておりますから(笑)。僕的にはフルマラソンが終わった後、これから100メートル走に臨むランナーみたいな気分ですよ(笑)。良く言えば血の巡りはいいんですけど、息上がってますよ(笑)今日はもう、おまかせしますよ(笑)」
吉「いやいやいや(笑)」
KC「音楽評論家と呼ばれる方で、普段からこんなにお付き合いさせて頂いてる方もいらっしゃらないんですよ」
吉「僕もなんですよ。横の繋がりってほとんど無いんで」
KC「そうなんですか? 社交的なイメージがあるんですけど」
吉「同業界の人とはあんまり無いんですよね」
KC「まぁ、最初から最後までこういった馴れ合いで続いていくんじゃないかっていう、懸念があるんですが(笑)」
吉「あ、じゃあ、今日はリスナーを置いていかないようにトークをしていこうかな、と。普段のソウルバー対談みたいになると、誰も何もわかんなくなっちゃうから(笑)」
KC「珍しく社会性を発揮してますねぇ(笑)。そんな所で大人として点数稼ぎですか、これ(笑)」
吉「ラジオのスピーカーの前のあなたに、ソウルをお届けしましょう(笑)」
KC「お手並み拝見しましょう。その緊張感がいつまで続くか(笑)」


KC「じゃあ、ここで吉岡さんの簡単な経歴を、僕の方からご紹介させて頂きたいと思います。えー、1953年……」
吉「違いますよ!(笑) それは(山下)達郎さんとかチャカ・カーンじゃないですか!(笑)」
KC「チャカ・カーンがするっと出てくるあたり、まるで音楽評論家ですね(笑)。1955年、2月16日生まれ……」
吉「ジェームス・イングラムと同じ誕生日です(笑)」
KC「でも、強引にくっつけるわけじゃないけど、あんまり売れなかった2枚目のアルバム(『ネヴァー・フェルト・ソー・グッド 』1986年発表)、リオン・ウェアの曲入ってましたね……同じ誕生日でやってたんだ」
吉「きっと彼らは知らないと思うよ、僕が間に入んないと(笑)」
KC「(笑)」
吉「前回、ジェームス・イングラムが来日したときに、楽屋で会って、「僕とあなたは同じ誕生日なんだ」って言ったんだよ。その前会ったときも同じこと言ったんだけど(笑)」
KC「毎回言ってんだ(笑)」
吉「そうそう、そしたら、「Oh〜〜〜!!!!」って大げさに驚いてハグして一緒に写真を撮ってくれたんだけど、「そういえば、レオン・ウェアもあなたと同じ誕生日ですよ」って言ったら、「おぉ、ホントか!!」って驚いたんだよね(笑)」
KC「まぁ、彼も各国でいっぱいインタビュー受けてるでしょうから、吉岡さんの誕生日は忘れてても仕方ないといえば仕方なんでしょうけど、リオン・ウェアの誕生日は覚えててほしいですよね(笑)」
吉「ひょっとしたらそれで覚えたかもしんないですけどね、2回目で。1回目は言わなかったから」
KC「1回目は自分の誕生日のアピールだけですか(笑)」
吉「たまたまだよ(笑)、トークのきっかけにね」


KC「吉岡さんにお聞きしたいことはたくさんあるんですけども、吉岡さんは、まず間違いなく、日本で一番黒人ミュージシャンにインタビューなさってるじゃないですか」
吉「松尾さんだって沢山インタビューしてるじゃないですか」
KC「僕は一時期集中的にやっていただけです(笑)。吉岡さんは今年52歳を迎えられたということで、この番組、ゲスト6人目にして4人目の50代ということになります」
吉「ゲストの方々に畏れ多いですよ」
KC「そんなこと言ってhondaさんはともかく、後はみんな飲み仲間じゃないですか(笑)。ゲストに来ていただいた皆さんそれぞれから、「吉岡さん出てないの?」って言われるんですよ」
吉「ありがたいお言葉です」
KC「業界デビューはおいくつのときですか?」
吉「何をもってデビューとするかわかんないんですけど、この業界には(19)74~75年から出入りし始めましたね。(19)75年にはじめてライナーノーツを書かせていただきました」
KC「20歳で物書きデビューですか! でも、吉岡さんは最初、会社を経営なさってたじゃないですか」
吉「そうですね、会社というか、レコードの輸入を。それが(19)73年の大学1年の時ですかね。でも、それを仕事にしようなんて全然思ってなかったんですよ。中学高校のときって小遣いが少なくて、高校生のときでも、レコードは月1枚買えるか買えないかくらいでしたから」
KC「それ聞いて安心してる方多いと思いますよ? 高等遊民の小遣いで「レコードが月100枚しか買えない」とか言われたどうしようかと思いました(笑)」
吉「でも、幼いながらに年を重ねていくにつれて、欲しいレコードはどんどん増えていくわけですよ」
KC「興味が広がりますからね」
吉「ラジオといえばFENを聴き、聴いてたら次から次へとほしいレコードが増えていって、そうこうしているうちに、アメリカの業界誌に、特にソウルの7インチのレコードが欲しかったんですけど……」
KC「今、さらりとおっしゃいましたけど、「アメリカの業界誌に」って時点で10代としてはそうとうマニアックですよ(笑)」
吉「(笑)。その業界紙に4行広告くらいで、<レコードを1枚からでもシップします>っていう広告が出てたんですよ」
KC「よくそんなの見つけましたね……今みたいにネットの検索機能なんて無い時代に」
吉「普通そういうとこってインポーターだと、<バルクオーダー>っていう、何十枚も買わなきゃいけないのがほとんどで、その1枚からでもシップするっていうのはすごい魅力だったんです。だから、そこに手紙を書いて、レコード代の27ドルを小切手で送金したんですよ。(19)73年の4月に」
KC「実行力のある若者ですね〜」
吉「その当時1ドル300円くらいだったから7000~8000円なんだけど、こっちは清水から飛び降りるくらいの覚悟だったわけよ(笑)。ダメだったらダメで泣こうと思って。で、シングル10枚とアルバム1枚をオーダーしたのね。そしたら、2,3週間でエアメールで届いたんですよ」
KC「1973年ですから、当時、相当なインパクトがあったんじゃないですか?」
吉「衝撃でしたね。その時買ったのが、マンハッタンズの「ゼアズ・ノー・ミー・ウィズアウト・ユー」」
KC「あれを取り寄せで買ったんですか!すごい!!」
吉「でも、その時買ったアルバムっていうのが、なんと、カーペンターズの『ナウ・アンド・ゼン』だったんですよ。ぜんぜんソウルじゃないじゃん、っていう(笑)」
KC「(笑)」
吉「それで、値段を計算したら、当時輸入盤ってヤマハとかそういう店にしか売ってなくて、2700円くらいしたんですよ。日本盤が2000円くらいで。シングルはヤマハだと7インチが1枚900円もしたわけ」
KC「今のイメージだと、輸入盤の方が安いイメージがありますけど、当時は円が弱かったんでレコードは高かったんですよね」
吉「だから輸入屋さんで買うより、自分で輸入した方が、三分の一くらいの値段になるから、毎月のように輸入盤で買うようになったんですよ」
KC「何か物事を好きになるっていうのはすごいですねぇ。たかが大学1年生にそこまでさせちゃうんだもの」
吉「そうこうしてるうちに、お金にも限りがあるから、小遣いもなくなっちゃうわけですよ」
KC「そりゃそうですよね」
吉「それで、7インチレコードを3枚買って、2枚売れば、自分の分が浮くじゃん、って思ったんですよ(笑)」
KC「別に利益を出そうってことじゃなくて、自分の分をタダで聴けるんなら最高だな!ってことですよね?」
吉「そうそう、それで、3枚、人気のある盤は5枚、とか輸入してくうちに、ビジネスとまでは言わないけれども、けっこう大きくなっちゃって」
KC「僕はその話を聞いて「吉岡さんっぽいな〜」と思いましたよ、プラマイでゼロにならなきゃいいやっていう、程度をわきまえてらっしゃる(笑)」
吉「(笑)」
KC「僕なんか浅ましい人間ですから(笑)、ビジネスのおもしろみにハマッちゃいそうですけど、吉岡さんは品をわきまえていますね。ずっと、そういうミュージックラバーという本分を失わずにいますもんね」
吉「そうですかね……(笑)」
KC「吉岡さんとご一緒していると、何か清らかなものを見たような気持ちになるんですよね」
吉「恐縮しちゃうなー、松尾さんにそういうこと言われちゃうと(笑)」
KC「池袋ゲットー育ちの山下達郎さんもよくおっしゃってますよ(笑)」


KC「そんな、ナット・ゲットー・チャイルドの(笑)」
吉「スピナーズの曲に「ゲットー・チャイルド」ってありましたよね(笑)」
KC「ありましたね(笑)。そんな、吉岡さんに1曲かけていただきたいのですが」
吉「その頃ね、僕はFENをほんっとよく聴いていて」
KC「その頃の音楽ソースといえば、やっぱりFENですか?」
吉「それか、AMの洋楽ラジオをかたっぱしから聴いていくとかね。それでもFENが情報源としてはかなり大きくて、毎日聴く番組2つ3つあって、そのひとつが、ローランド・バイナムのラジオなんです。(ローランド・バイナムは、)LAの人で、(19)60年代後半から70年代の、向こうのソウルのアルバムのライナーを時々書いてる人なんですけど」
KC「吉岡さんは、ローランド・バイナムをまずラジオDJとしてお知りになったんですか?」
吉「そうですね。レコードを買うようになって、ようやく物書きもやってるって知ったんですよ」
KC「はぁ〜、時々いますよね、向こうのラジオDJとかプログラミングディレクターの人でライナーを寄稿してる方」
吉「あれは、一種のバーターなんでしょうね。原稿を書かせてオンエアをもらう、みたいな」
KC「もしかしたらペオラとか、そういうのロンダリング的なものがあったかもしれませんね」
吉「原稿料がものすごくいい、とかね。それで、ローランド・バイナムの番組が昼の2時5分からあって、そのテーマ曲がデヴィッド・T・ウォーカーの「ワッツ・ゴーイング・オン」だったの」
KC「30数年前のことを昨日のことのように、昨日のことが30年前のことのようになってるのが、非常にかわいらしい(笑)」
吉「あと、もうひとつの番組でドン・トレイシー・ショーっていうのがあって、それとウルフマン・ジャックをその時期FENで聴いてましたね」
KC「ウルフマン・ジャックは日本のDJでも影響を受けた方が多いですよね。小林克也さんとか赤坂泰彦さんとか」
吉「まさにね、彼は映画に出たりして、最初からスターDJだったけど」
KC「メディアミックスができた人でしたよね」
吉「そう、で、ローランド・バイナムとドン・トレイシーがぼくにとって2大DJだったのよ。なので、テーマ曲のデヴィッド・T・ウォーカーの「ワッツ・ゴーイング・オン」を」
KC「いいですねぇ。そういう話の膨らみがあると、この曲も身構えって聴こうって気持ちになります」
吉「20年前30年前にFENでソウルの番組聴いてた人は、この曲から、ローランド・バイナムの知的なトークがはじまるっていうのが、きっと、フラッシュバックするんじゃないかと思います」
KC「じゃあ、この曲を聴いた後は、われわれのトークももうちょっと知的に(笑)」
吉「そうですね(笑)。がんばりましょう(笑)」
KC「それではデヴィッド・T・ウォーカーで、「ワッツ・ゴーイング・オン」」

♪David T. Walker / What's Going On

David T. Walker - What's Going On.